求められるはエビデンスベースの医療

ひと昔前、歯科医師がDDS(doctor of dental surgery)として、全ての治療技術の向上を目指すスタイルは大いに評価されていました。
しかし現在、歯科医療を社会におけるインフラだと捉え直すと、今後は技術だけでは社会的に評価されなくなるでしょう。
なぜなら歯を失う主な原因のう蝕と歯周病の成り立ちは科学的に解明され、今やもう予防できる時代だからです。
歯を喪失する疫学的根拠が示された現在、削る箇所を探し失った歯を補うだけの歯科医療に従事することで、長い歯科医師人生を豊かに過ごせるのでしょうか?

歯科医師になるための最初の一歩

ライセンスを取って始めの数年でその人の診療スタイルが決まってしまうといっても過言ではありません。開業前に見た数年間の治療内容・診療システムが、その歯科医師にとっての未来に決定的な意味を持つことがほとんどです。
開業後、途中で路線を変更するには多大なエネルギーが必要になります。最初に自分の歯科医師人生の全体像をある程度意識して、将来性のある新しい歯科医療を知ることが若い歯科医師にとって何より重要なのではないでしょうか。
これから卒業し進路を考えている歯科学生、また開業を考えている大学病院、一般歯科医院の勤務医の方にも患者利益を確実に提供できる歯科医師人生を送ってもらいたいと願い、PRE OP TOKYO( POPT)を開催することに致しました。

学校では教えない歯科医療哲学

歯科診療所は病気にならなくても通える場所です。
1人の口腔疾患の予防ために時間を確保することで、ひいては全身疾患の予防にもつながる場所が歯科診療所です。
なぜ我々歯科医師は歯科医療の価値を「削る」「詰める」「抜く」「補う」に集約してしまうのでしょうか?もっと価値があるのではないでしょうか。
POPTでは歯科業界にどっぷり染まる前の若手同士が生活者目線で考え、横の繋がりを広げ、社会課題を解決できる医療とは何か、歯科医療はどうあって欲しいか、それには現状で歯科界には何が足りないのか、個人ではチームではどのような取り組みができるのか、といった「決して学校では教えてくれない歯科医療哲学」をみんなで考えるきっかけになればと願っています。

知識と技術そして哲学を学ぶ

歯科医療哲学を考える一方、歯科医師には、う蝕、歯周病のコントロールに始まり、エンド、修復治療、欠損補綴などベーシックなものからアドバンスなものまで知識修得と技術の研鑽も大事です。
若手歯科医師であれば尚更どのような技術を身に付ければ良いか知りたいところだと思います。そのピュアな願望を否定することはありませんが、医療技術には哲学が伴うとより活かされることを知っていただきたいのです。そこで今回のセミナーではGPに加え、エンド、矯正、口腔外科といった専門医から「技術と医療哲学の融合」を学ぶ機会も設けました。

受療者を中心に歯科医療を廻す

従来の口腔の健康へのアプローチというと、検診から歯科治療といった流れで実施されてきました。患者教育としては口頭でのプラークコントロールとシュガーコントロールのみでした。私たちは、まずリスクアセスメントに重点をおいています。
発症してからの治療や行動変容を促すだけではなく、発症するリスクを把握し患者教育をするアプローチです。
患者に歯科医院のかかり方を教え、家族や身の回りにいる人々への啓蒙をも促します。
つまり医療を医療提供者側が動かすモデルから医療を受ける側が動かすモデルに変えることです。医療に患者自身が積極的に参加することにより、医療の質も担保されることになるのではないでしょうか。

ストップ「修復治療の死へのらせん階段」

小中高の学校教育の一環として、理想的には歯科教育があるべきではと思いますが、現実は年に2回程度の検診と歯磨き練習を行っているのみです。
また多くの保護者も歯科リテラシーが低い状況です。
このような社会状況では、12歳から20歳までの間に発症したう蝕は、修復物(金属やプラスチック)に置き換えてもほとんどが再発を繰り返し、一部は抜歯に至ります。
いわば「修復治療の死へのらせん階段」と表現することもできます。
歯科医師と患者双方にう蝕治療に対する生物学的アプローチが、欠如していることが要因と考えられます。
このサイクルを止めるには、歯科医師がう蝕に対する病因論を学びなおすことはもちろんですが、その一方で行政を動かし歯科に対する学校教育を変えることが必要だと考えます。
しかし現状は、歯科検診は未就学児の6歳までは自治体管轄で、小中高は文科省管轄で行われており、検診データは多数あるものの共通基盤として利活用されているとは言い難い状況です。
このような中で以前と比較するとう蝕歯数が減少したとされていますが、データの正確性や歯科教育という点からは明らかにに不十分です。
現行の方法では疾病構造は変わらず、加齢とともに治療歯が増え続け、残存歯数は減少し続けると懸念されます。

新しい歯科医師への啐啄の機

私たちが着目しているのは80歳で20本の歯を残すための取り組み「8020」ではなく、「8028」という概念です。
「8028」とは80歳になっても1本も喪失歯がなく、歯周病とう蝕をコントロールできている状態のことです。
28本の歯が残っているということは咀嚼障害が無く、歯周病がコントロールされ慢性炎症が口腔内に無いということであり、全身の健康状態も良好であることが想像できます。
そういった人にかかる生涯医療費は現在の平均と比べても大いに抑えられるのではないでしょうか。

超高齢化社会に向けて訪問歯科や摂食嚥下リハビリテーションなど、昨今新たに注目されている分野では社会的ニーズは確かにあります。しかし、歯科医師が医療に対する本来的な視点を失ってしまうと、新しいニーズから社会課題を解決しているつもりが、結局は従来型DDSの延長で社会の存在するにすぎません。このPOPTという機会が新しい歯科医師像「健康長寿社会に活躍する歯科医師のための啐啄の機(そつたくのき)※」になれば幸いです。

 
※雛鳥は卵の殻を割って自分から出てこようとしますが,自力では完全に殻を割ることが出来ず孵化し外の世界に出ることができません。そのために親鳥は雛鳥が卵の殻を割る手伝いをして雛鳥を安全に孵化させます。その時が早すぎても遅すぎても雛は死んでしまうため、雛は孵化のタイミングを親鳥に知らせるために鳴き(啐:そつ)、その声を聞いた親鳥が殻を突く音(啄:たく)にタイミングを合わせるそうです。禅の世界では弟子の成熟のタイミングと師匠の伝えるタイミング一致する大切さの例えとして用いるそうです。

POPTに参加する学生や新卒のDr.はこれまでの医療に何らかの疑問や不安を感じ成長するために殻を割ろうとして鳴いている(啐)雛鳥であり,そこに私たちが殻をつつく啄のタイミングを合わせて行くことが、これからの健康長寿社会に貢献する歯科医師の育成につながり、POPTの目的です。